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企業価値と企業ポリシー

はじめに

前回は、経営判断に際してはESGなどを踏まえたさまざまな要素を考慮すべきであるということを申し上げました。今回は、なぜそのような社会の変化が生じたのか、具体的にどのような要素を考慮すべきなのか、ということを検討したいと思います。

まず、社会の変化の理由の1つとしては、現代社会が複雑化したことが挙げられます。もう少し掘り下げていくと、①変化のスピードが速まったこと、②新しい技術が次々に導入されたことに加え、③コストを外部に転嫁してきたことの反響などが考えられます。
例えば国内で人件費を抑制し海外での人材活用を進めた場合、海外で人権侵害が発生していてもわかりにくいという問題が発生し得ます。ところが現地で問題が顕在化すると、その問題は国内に跳ね返ってくることがあります。そのため、跳ね返りの影響を国内で吸収できるかということが重要なテーマになります。
社会に成長余地がある場合には、その跳ね返りを余剰で吸収できるかもしれませんが、余剰が存在しない場合には、当該リスクをどう分解・解析して、解消するのかという難解なプロセスと向き合う必要が出てきます。そしてプロセスと向き合うためには、さまざまな要素を考慮せざるを得ないという結論につながります。

考慮すべきさまざまな要素

では、考慮すべきさまざまな要素とは、具体的にはどのようなものを指すのでしょうか。この点について、国際的な人権問題に関する分析を行う「Open Global Rights1」で触れられていることなどを参考にすると、次のようなことと考えられます。

第一に、株主の権利です。これはよく「会社は株主のためにある」といわれることからも、広く知られているでしょう。
第二に、債権者の権利です。債権者は株主と同様に会社の資金調達に寄与する者であり、株主がアップサイドを取ることに文句を言わない代わりに、債権者は元金全額の返済を受ける権利があります。
第三に、労働者の権利です。労働者は債権者であると共に会社事業の原動力でもあります。ただ、従来はコストとして認識されることが多かったわけですが、昨今では人的資本として注目されています。 
第四に、消費者の権利です。消費者はお客様であると共に、会社のサービスに信頼を与え、それがブランド力を高めることにもなります(ただし、カスハラという問題も存在します)。 
第五に、権利を侵害された者という意味での債権者です。ここはすでに述べた人権や環境、その他損害賠償債権などの債権者です。
第六に、会社は「良き市民であれ」としての立場です。会社は自然人と異なり、ある意味において擬制された法主体であり、逆にいえば社会的意義があるからこそ、その法主体性が認められている点があるということに留意する必要があります。
第七に、これらの権利を適切に調整するために必要なバランサー、言い換えれば会社を適正に運営するガバナンスです。
そして第八に、企業価値と関連する企業ポリシーといった要素を挙げることができます。

具体的な考慮過程-正常バイアスの排斥-

問題なのは、これらの要素をどのように考慮していくかです。一般的には株主の権利を最大化するべきとも思えますが、他方で債権者の権利の確保も当然に重要な課題です。ただし、債権者の利益、さらには債権者かもしれない人の権利をどこまで保障するかという問題は、株主の権利と緊張関係に立ちます。また、債権者といっても、債権者側に帰責性がある場合も存在します。その場合まで、損害額を最大限に見積もるのかという問題もあります。
このように、各種の利益に対する調整弁がガバナンスやポリシーであり、かかる点を踏まえて外部対応を行うべきともいえます。例えば、企業として批判されるような事象が起きたとき、被害者や世間の感情を逆撫でするような記者会見は、かえって企業価値を毀損します。なぜ逆撫ですることになるかというと、部分社会、つまり局所的な地域の論理に捉われていることがあります。
他方で、マスコミや行政から記者会見を要請される場合もありますし、時には禊ぎとして、批判されることで社会の不満を昇華させることが必要なときもあります。
このように考えていくと、企業がどの要素を優先するべきかという問題は、複雑な方程式を解くように難解です。そのため事件発生後の判断も重要ですが、事件発生前の判断・訓練・想定も重要になってきます。
一言でいえば、会社がどのような要素を重視するか、ポリシーを持つかを事前によく検討しておく必要があるのではないかということです。またその際には「思い込み」という概念も排斥しておく必要があります(正常バイアスの排斥)。

中長期的な視点と企業ポリシー

さて、企業が重視する要素を検討するとはどういうことなのでしょうか。
例えば、5人の困った人と、1人の困った人がいて、どちらか一方のみを救出できる場合、企業はどちらを救出するのでしょうか。多くの人は5人を救出すると思います。これはいわば数の理論です。
では、5人は企業にとって無関係であり、1人は自分の家族や従業員である場合にはどうでしょうか。少なくともその1人が(自分の)家族だったら、(仲が悪くない限り)家族を選ぶ人が多いように思います。
それはなぜでしょう。家族愛なのでしょうか。従業員であれば、企業が安全配慮義務を負っているからでしょうか。またその場合、5人を救出できなかったことに対する社会的批判(あるいは社内的批判)にはどのように答えるのでしょう。さらに、仮に5人が瀕死の病人であり、1人が前途有望な若者だったらどうするのでしょうか。
論理が一貫した答えとしては、企業(または現場担当者)にとって社会的効用(満足感)が高い方策を選ぶということなのかもしれませんが、事前にそのルール・判断基準は検討しておかなくていいのでしょうか。
そのような仮想事例は意味がないと考える人もいるかもしれませんが、現実に起こり得る問題です。
例えば、自社の海外支店が現地の紛争に巻き込まれたときです。まずは情報確認が重要となりますが、それを踏まえたうえで、企業はどう行動するべきなのでしょうか。撤退するのでしょうか、踏みとどまるのでしょうか。
紛争の深刻さ・継続性によっても異なると思いますが、どれだけの情報が獲得できれば企業は判断できるのでしょうか。当該支店の売上・重要性・投資金額によっても判断は変わるかもしれません。仮に撤退するとして、従業員の安全確保は当然ですが、現地従業員の安全はどのように考えるべきなのでしょうか。
また、事業を清算すべきなのでしょうか、開店休業状態にするのか、株式を売却するのでしょうか。株式を売却するとして、その売却先はどのように探すのでしょうか。また売却先はどのような会社でもいいのでしょうか。売却された後に、海外支店の情報が不正に使われたり、購入した企業が新たな人権侵害を引き起こしたりするリスクは考慮しなくていいのでしょうか。

さらにいえば、侵攻国との関係はどのように考えるのでしょうか。侵攻国の企業からの売上が大きければ、侵攻を許容するのでしょうか。それとも侵攻国と被侵攻国の社会的・歴史的関係などによるのでしょうか。
仮に侵攻を許容した場合、侵攻に反対する株主からの質問や株主権の行使にはどのような対応をするのでしょうか。逆に仮に侵攻に反対した場合、侵攻国からも撤退するのでしょうか、あるいは侵攻国の企業との取引にはどのような影響を与えるのでしょうか。また、侵攻を許容する株主からの質問や株主権の行使にはどのような対応をするのでしょうか。これらの判断は、同業他社・各国政府の対応によっても異なるのでしょうか。

結局のところ、この問題は、単純な利益の比較では判断できないものであり、究極的には、どのような判断が会社の中長期的な利益に寄与するか、という問題に帰着するかと思います。
そこでは中長期的な利益とは何か(当該海外支店の利益だけでなく、その問題が引き起こすさまざまな経済インパクトをどう評価するか)、従業員の安全・利益をどのように考えるか(現地従業員の利益もそうですが、会社の判断によってはその他の国で雇用する従業員の反応にも影響しかねません)、会社の判断が消費者にどう受け止められるか、撤退することによって新たな人権侵害を引き起こさないか、会社の判断が国内世論・国際世論にどう受け入れられるか(良き市民たり得るか)、日々の会社のポリシーと反しないか(単にお行儀の問題ではなく、ポリシーに反した場合に、関係者・社会からどのような反応がなされるか)ということについて、考えを巡らさなければいけないということだと思います。