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ミャンマー在外国民の課税問題から見える『責任あるビジネス』の実践と対話の重要性

はじめに - ビジネスと人権から考える「人権リスク」

今回お話したいことは、企業が責任あるビジネスを実践する上で重要な「ビジネスと人権」に関する考え方です。

近年、特に、企業経営における重大な関心事の1つとして注目されているのが、人権リスクです。人権リスクとは、企業のビジネス活動が他者の人権を侵害する可能性を指します。人権リスクへの不適切な対応は信頼を損ね、ひいては企業にとっても重大な悪影響に繋がる可能性があります。企業は、人権リスクを正確に理解し、誠実に対応することが求められています。

ビジネスと人権について語られるとき「企業からではなく、人から見る」ということがよく言われます。企業は、「自社にとってどのような影響があるか」ではなく、人権を侵害される(可能性のある)「人」の立場から自社の対応を考えるべきということです。この概念自体を、言葉で説明すると一応の理解はいただけているように見えるのですが、実際に企業がこの考えに沿って行動するのは難しい場合が少なからずあるようです。今回はこのギャップについて、最近の事例をご紹介しながら、考えていきます。

ミャンマー課税問題に対する日本企業の反応

2023年の年末に、私が仕事で関わっているミャンマーにおいて注目すべき動きがありました。ミャンマーの軍事政権が、海外在住のミャンマー国民から国外で税金を徴収する政策を発表したのです。

報道等によると、2023年12月以降、各国のミャンマー大使館は海外で働くミャンマー人の納税に関する手続きを発表し、日本においては税率を平均的な月収(20万円)の2%としました。最終的な納税額は月1000円とのことです。この金額は大きな額ではないように感じますが、支払う側にとっては負担となります。

また、日本とミャンマーの間には二重課税を避けるための租税条約がないため、在日ミャンマー人労働者は二重課税の可能性があり、加えて、税金を支払わない場合、パスポートの更新ができなくなる等のリスクもあります。

事態の背後には、2021年のクーデター以降の情勢不安や通貨の急落、外国直接投資や外国人観光客の大幅な減少などに起因するミャンマーの外貨不足の深刻化があると思われます。
これに対して、在日ミャンマー人を雇用している一部の企業は、徴収される税金がミャンマー軍政への資金供給につながるとされ、それが企業に悪影響を及ぼすのではないかという懸念を持っているとの話を複数の情報筋から聞きました。しかし、現状では、人権NGOも含め、「ビジネスと人権」の観点から、このような納税を理由としてミャンマー人の雇用を回避すべきだ等という議論は聞いたことがありません。

明確な根拠もないのに、このような形で懸念を抱くのは、「自分たちに何か累が及ぶのではないか」という発想に基づいているように見受けられます。まさに上述の「企業からではなく、人から見る」ができていない例の一つだと思います。

「ビジネスと人権」を考える上で日本企業が取るべき行動

冒頭で触れたように、「ビジネスと人権」における人権リスクを考える際には、企業ではなく人の視点から問題を捉えることが重要です。

今回の問題の中心と考えるべきは、日本で働くミャンマーの人々の立場です。税金を納めることで職を失ったり、就職の機会を逃したりすることをミャンマーの人々は望むでしょうか?特に、近時導入された徴兵制により、身の安全を確保するため連日若者がミャンマーを脱出しています。そのようなことはどう考えるのでしょうか。

企業側としては、自社の従業員が合法的に日本で働き続けられるように適切なサポートをすることが期待されます。例えば、在日ミャンマー人の従業員が、ミャンマーの税金を支払わずにパスポートを失効させてしまうと、日本に合法的に滞在し、働くことが困難になります。

視点を変えて、日本人が海外で働く場合、多くの日本企業は入国するためのビザや在留許可の手続きを当然のようにサポートします。企業が従業員の合法的な滞在と就業を保証するという点では、どちらの場面も根本的には同じとも考えられ、ミャンマーのケースにおいてもしかるべき支援をするというアプローチも考えられます。

責任あるビジネスには「エンゲージメント」の概念の理解が不可欠

上記のように、責任あるビジネスを行う上で大切なことは、人権などの課題に直面している「人」の側からのアプローチです。そのためには、企業側が人に目を向けて「対話」を積極的に行うことが非常に重要です。

今回の事例では、企業側が対話等を通じて、ミャンマー人従業員の境遇や心情を把握していれば、自社の評判を守るためにミャンマーに税金を払っている人を解雇したり、採用をしないようにしようといった考えは生じなかったでしょう。

「ステークホルダーエンゲージメント」「ライツホルダーエンゲージメント」「ステークホルダーダイアローグ」という言葉は、近年よく耳にするかと思います。ここでいうエンゲージメントやダイアローグは基本的に「対話」を意味しますが、この概念について認識にズレがあると感じることが少なからずあります。

実際に相談を受ける中でも、人権NGOなどと対話をすることで、企業側が相手の主張を受け入れたり、譲歩を強いられたりするのではないかと心配をされる担当者が多く、「当社は一歩も譲る気はないので、対話自体が無意味だ」という意見も耳にします。

このような問題について、劇作家の平田オリザ氏が『100分de名著』で中江兆民の『三酔人経論問答』という本を引用し、対話の概念を分かりやすく解説しています。その一部を抜粋して紹介させていただきます。

“英語圏では、会話は「カンバセーション(conversation)」、対話は「ダイアローグ(dialogue)」と、明確に違うものとされます。しかし日本では、その違いはあまり意識されてきませんでした。また「ダイアローグ」を「対の話」と訳したため、辞書の「対話」の項目にも「二人の人がことばを交わすこと」「向かい合って話すこと」などと記述されています。”

これに対して平田氏は、会話は「親しい人同士のおしゃべり」、対話は「異なる 価値観を持った人とのすり合わせ」であると定義しています。対立する意見AとBを話し合い、Cという新しい概念を生み出すプロセスだと説明しています。

本書では、「対論」についても 取り上げられています。

“対論は、相手の主張を論駁することが目的ですから、どちらかが勝ち、どちらかが負けます。”
引用:「100分de名著中江兆民『三酔人経綸問答』2023年12月」(NHKテキスト)

対話は、対論のように必ずしも相手と反対の意見を貫き通す必要はなく、お互いの立場を理解しながら真剣にコミュニケーションを取ることが重要です。対話の結果、意見が変わらなかったとしても、その会話のプロセスによって価値観は変わりえるという発想があります。

私が見ている限りでは、エンゲージメントやダイアローグを「対論」と捉えて論駁されることを恐れて忌避したり、なるべく「会話」に近づけようとして自らと価値観が近い人たちとしか話さなかったりという扱いが散見されます。しかし、これらはいずれも「対話」の概念・精神とは異なるものです。

「人権リスク」に対応できる企業になるために

前述の通り、「対話」とは、異なる見解を持った人と行ってこそ意味があるものであり、また、それによって何かの落着点・妥協点を見いだすことが必ずしも求められているわけではありません。

対話は、人それぞれ異なる価値観、視点があるということを前提として、それを正確に理解して直面する課題に適切に対応するためのプロセスです。これに応じないということは、そもそも他人(例えば人権侵害を受けている人たち)の課題や問題意識に耳を傾ける気がないと表明していることに他なりません。

このような姿勢自体、エンゲージメントを求める「ビジネスと人権」の国際スタンダードに反するものですし、「責任あるビジネス」を遂行する姿勢と反するものと評価されます。また、このような第三者の評価以前に、そもそも自社の視点だけで物事を判断し対応することの危うさについては、各種炎上事件を見ていても明らかでしょう。

対話の意味を正しく理解して、ライツホルダーとのダイアローグやエンゲージメントを適切に進めることで、直面している問題について、「企業からではなく、人から見る」ことができるようになります。それによって、適切な対応が可能となり、ひいては外部からも評価されるようになります。多くの企業の皆さんにとってはまだまだ不慣れなところがあると思いますが、是非正面から取り組んでいただければと思います。